水戸芸術館で開かれた展覧会について
建築家ジュゼッペ・テラーニ(1904~1943)は、イタリア・モダンの代表的な旗手である。「コモのカサ・デル・ファッショ」(1932~36)や「サンテリア幼稚園」(1935~37)、そして「ダンテウム」(1938)といった作品は、近代イタリアという枠を超え、建築史のメルクマールである。 しかしそこには、二重の意味での「近代」が色濃く投影されている。それを、インターナショナリズム(ラショナリズム)とナショナリズム、アヴァンギャルディズムとクラシシズム、あるいは「大衆のための建築」と「国家の建築」と言ったアンヴィヴァレントなジレンマと言い換えることもできる。テラーニが、ヨーロッパ諸外国のモダン・ムーブメントにいち早く呼応して、イタリアでの運動の展開を目論み(「グルッポ7」の結成や「イタリア合理主義建築運動」の推進)、インターナショナルなレベルをめざしたこと。それと同時に1920・30年代のイタリアを席巻したファシズムという時代文化の中で、「新しい体制」の表現としての建築に可能性を託したこと。こうしたふたつの意識の狭間で、その接点を求めて生涯を賭した建築家がテラーニである。 いわゆるモダニストの建築に顕著な空間の透明性と較べるなら、テラーニのモダニズムには翳りがある。モダニストの「白い空間」が純粋性の表明であったとするなら、テラーニの「白」は輝かしい歴史の象徴(大理石)によって同時に支えられていた。そこにはファシズムをも透過し得ると
考えたテラーニのモダニズムへの信頼があった。
テラーニの作品に対する日本での関心は、これまで決して高くなかった。それは、ファシズムという時代の障壁の故ばかりではなく、それらの作品がいわゆるモダニズムの神話を揺さ振らずにはおかなかったからである。それは、近代の再評価と言った歴史認識ばかりでなく、建築と国家、あるいは建築家と制度、さらには建築家とパトロネージの関係と言った普遍的な問題をも同時に呼び起こすことになるであろう。そうした意味で、ヨーロッパを起点に開催されてきたテラーニ展がいま日本でも実現することは、大いに刺激的な出来事となろう。