第5回 窓からの眺め







代の空間を敢えてひとつの建築プロトタイプで代表させるなら、それは「集合住宅」であろう。そこには、モダニズムの空間思考のさまざまな座標軸、たとえば規格化(工業化)、機能性、経済性、都市、さらには政治が交差しているからであるが、「集合住宅」に住まう大衆という「見えない住人」たちを常に視野に入れざるをえないという枠組みにも起因する。ここではいくつかの映画を引用しながら、映像のなかに現われる「集って住まう」ことの空間性について考えたみたい。
・・アパートメントの社会学・・

スクリーン全面に映し出された窓。劇の開幕を告げる緞帳のように、その窓のブラインドがゆっくりと巻き上げられて、映画は始まった。窓の向こうには裏庭が広がり、向かいのアパートの光景が一望のもとに見える。この裏庭が、まさにこの映画の「舞台」である。

窓を室内から映しだしたカメラは、ゆっくりと庭に迫り出して、そこが数棟のアパートで囲まれた中庭であることを伝える。中庭の隅の路地の先には、表通りの喧騒が窺え、ちょうど散水車が路面に水を撒いて通りすぎる。その先には高層ビルの遠景。カメラはゆっくりとパンして、この中庭に面したそれぞれの部屋の窓越しに、アパートの住人たちの日常の断片を垣間見せる。長まわしで中庭の光景を映したカメラが再びもとの室内へと引かれると、その中庭に背を向けて、車椅子に身を委ねたままうたたねする主人公ジェフ(ジェームズ・スチュワート)の横顔が映り、その額にはうっすらと汗がにじんでいる。さらに引いたカメラは、主人公の左足にはめられた白いギブスや、華氏94度を示す窓際の寒暖計、机の上に散らばるカメラ、壁に掛けられた多数の写真といった室内を映しだす。

これは、ヒッチコックの映画『裏窓』(1954年)の冒頭シーンである。特異な設定による室内劇でありながら、窓の向こうの中庭越しの光景だけで展開するこの映画が「自然」に見えるのは、ニューヨークのダウンタウンの一隅を切り取って精巧に組まれた中庭と、中庭越しに見えるそれぞれの部屋の室内の緻密なセットゆえである。前述のカメラワークは、たかだか3分程度の冒頭のシーンでありながら、これから進行する映画の
    
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