1 自由な表現
2 遊びか芸術か
3 自発性とインスピレーション
4 自発的な表現に関するモンテッソーリの理論
5 子どもが絵を描き始めるとき,何が起こるのか
6 子どもの描画の発達段階
7 「図式」
8 運動感覚による想像
9 イメージと記号
10 三つの仮説
11 弱視および盲目の子どもたちによる証拠
12 概念的な誤り
13 子どもの描画の観察による分類
14 分類の精選
15 子どもの描画の分類と心的機能による類型との関係
16 知覚の類型との関係
17 年齢的要因
18 類型の判別への,初期の描画の利用
19 視覚以外の表現方式―1遊びの活動
20 視覚以外の表現方式―2言語による創作
21 視覚以外の表現方式―3音楽
(ここまでの節省略)
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(一部省略)
もし,私たちが,芸術とはこうでなくてはならない,という観念をあらかじめもっていなければ――もし私たちが,芸術は人間の性質と同じように多様なものであると悟るならば――そのとき,美的な表現の方式は,11歳以降も,そして思春期を超えても,すべての個人に保持されることはまちがいありません――もし,私たちに,現在の教育制度の特徴である,論理的な思考方式の学習にのみ専念することを,ある程度まで犠牲にする用意ができていれば,ということです。子どもの芸術は11歳以降,減退していきます。なぜなら,それがあらゆる方面から攻撃を受けるからです。それは,単に,カリキュラムの中から締め出されるだけではありません。算数,幾何,物理,化学,歴史,地理,そして今の教え方では文学さえもそうですが,これらの論理的活動によって,心の中から締め出されているのです。思春期の心を,このように歪めてしまった代価は,莫大なものです。私たちの文明は,忌まわしい物体や歪んだ人間,病んだ精神と不幸な家庭,分裂した社会と大量破壊兵器に満ちています。私たちは,この滅亡の過程を,知識と科学,発明と発見とで助けているのであり,私たちの教育制度は,この破局と歩調を合わせようとしています。ところが,心を癒し,環境を美しくし,人間と自然,国家と国家を結び付ける創造的な活動については――私たちはそれを無駄で,無関係で,無意味なものとして,捨て去ってしまうのです。
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